日本:実質賃金の伸びは実はマイナスにあらず?
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要旨
毎月勤労統計による実質賃金上昇率は実態を過小評価している可能性
毎月勤労統計によると、前年比でみた日本の実質平均賃金は、2022年春から直近まで継続的にマイナス圏にありました。しかし、私は、複数の会社で掛け持ちして働く労働者が増えており、これが、事業所ごとに調査を行う毎月勤労統計における労働者数の過大評価をもたらしている可能性が高いと考えています。
実質賃金の伸びは「マイナス圏」ではなく「ゼロ%程度」の可能性
私は、毎月勤労統計におけるこのような歪みを、別の統計である「労働力調査」を使って補正できるのではと考えました。試算してみると、前年同月比でみた実質賃金の上昇率は、2022年春ごろから2023年始めまでは確かに比較的大幅なマイナス圏でしたが、2023年秋ごろからはほぼゼロ%程度に改善していました(図表4)。これは消費者マインド指標とも整合的です。
今後は実質賃金の伸びがはっきりとしたプラス圏へ
今後については、春闘での賃上げの効果が2024年5月頃から本格的に顕在化すると見込まれます。今回試算したベースでの日本の1人あたり実質平均賃金ははっきりとしたプラス圏へと改善する公算が大きいと予想されます。これに合わせて日本の民間消費が緩やかに拡大する可能性が高いと見込まれます。日本銀行もこうした考え方をある程度共有しているとみられることから、年内の追加利上げの可能性は低いという、これまでの見方を維持したいと思います。
毎月勤労統計による実質賃金上昇率は実態を過小評価している可能性
日本経済の先行きを考える上で、実質賃金の動きが重要であることは論を待ちません。日本の民間消費は、実質ベースで、2023年7-9月期、10-12月期の2四半期連続で前期比マイナスとなりましたが、この弱さの要因として挙げられることが多いのが、インフレ率が高まったことで、「実質賃金の前年比上昇率が2022年4月以降、継続的にマイナス圏にあった」という点です。実質賃金の伸びがマイナスなのは、厚生労働省がサーベイを行う「毎月勤労統計」で示された姿であり、日本経済を分析するエコノミストの間の「常識」です(図表1)。
この毎月勤労統計は、500人以上を雇用する事業所全てに対する調査と、500人未満の規模の事業所に対する調査に基づいており、エコノミストにとって非常に重要な統計です。同統計では、「常用労働者(=期間を定めずに雇われているか、1カ月以上の期間を定めて雇われている者、以下では単に「労働者」と記します)」を対象とした平均賃金を算出・公表しています。ただ、私は、近年、人手不足の状況が続く中で、企業が短時間でしか働かない労働者を積極的に雇用する傾向が強まっていることや、副業を行う労働者が増加していることを受けて、複数の会社で掛け持ちして働く労働者が増えており、これが、事業所ごとに調査を行う毎月勤労統計における労働者数の過大評価をもたらしている可能性が高いと考えています。例えば、1人の労働者が3社で掛け持ちして働いている場合、毎月勤労統計では3人の労働者として計算されますが、その結果として、「総賃金÷労働者数」で計算される1人あたり平均賃金が実態と比べて過小に評価されることになります。
また、直近では、「タイミー」や「バイトル」などスマホのアプリで簡単にアルバイトの職探しが可能なサービスの活用が広がっています。これらのサ-ビスで数時間のアルバイトを単発で行う場合には、「期間を定めて雇われる」ケースに相当することから、毎月勤労統計における調査の対象外となるはずですが、労働者が同じ会社へのアルバイトを何回か行うケースでは、企業側が「期間を定めない雇用」と位置付けて毎月勤労統計への報告に含めている可能性がないとは言えません。労働者がこうしたサービスを活用して複数の企業で働く場合でも、毎月勤労統計での1人あたり平均賃金が実態よりも過小となっている可能性が否定できません。
実際に毎月勤労統計でフルタイム労働者とパートタイム労働者の増加率をみると、パートタイム労働者数の伸びが、2023年に入って加速しており、2023年末までは前年同月比で3~4%のペースで増加していました(図表2)。人口が減っている日本においてパートタイム労働者数が数年にわたってかなり速いペースで増えてきたという毎月勤労統計の調査結果には違和感を覚えざるを得ません。
実質賃金の伸びは「マイナス圏」ではなく「ゼロ%程度」の可能性
私は、毎月勤労統計におけるこのような歪みを、別の統計である「労働力調査」を使って補正できるのではと考えました。労働力調査は、おおよそ4万世帯(約10万人)を対象に実施される標本調査であり、これによって雇用者(自営業主や家族従事者以外の就業者を指す)の数を推計しています。労働力調査による雇用者計数では、複数の企業で働く労働者でも1人として算出されるのに対し、毎月勤労統計では複数人の労働者として算出されます。2024年2月において、毎月勤労統計上の労働者数は5,024万人、労働力調査上の雇用者数は6,088万人でした(雇用者数が多いのは、①労働者公務に属する行政機関や警察・消防に勤務する人々が含まれること⦅労働者数には含まれません⦆、➁1カ月未満の期間で働く人々が含まれること⦅労働者数には含まれません⦆—等によると考えられます)。この2つの系列の伸び率を比較する(図表3)と、2020年以降、労働者数の伸び率が雇用者数のそれを上回ることが多かったのですが、これは、上記のように、労働者には複数の仕事を掛け持ちして働く人々が含まれるためと考えられます。そこで、私は、まず毎月勤労統計を使って日本の総賃金を計算し(計算にあたっては、毎月勤労統計における共通事業所ベースの計数を用いました)、次に労働力調査で得られる雇用者の伸び率データを当てはめて1人あたり名目平均賃金の伸び率を算出しました。その後、最後に厚生労働省が実質賃金の算出にあたって使用するデフレーター(帰属家賃を除くCPI総合)の伸び率を使って1人あたり実質平均賃金を試算してみました。その結果は、図表4に示す通りですが、前年同月比でみた実質賃金の上昇率は、2022年春ごろから2023年始めまでは確かに比較的大幅なマイナス圏でしたが、2023年秋ごろからはほぼゼロ%程度に改善していました。この試算結果は幅をもってみる必要があるものの、毎月勤労統計での1人あたり実質賃金の伸び率についての公表値は実態を過小評価している可能性があると言えそうです。
この試算結果をもとに、実質総賃金の増加率を計算すると、上下の振れはあるものの、2023年夏から秋にかけてはプラス圏でありながらも0%台前半であったものの、2023年末あたりからは前年比で1%弱に高まったことがわかります(図表5)。日本の消費者マインドを測る代表的な指数である内閣府の消費者態度指数は、2023年春ごろから改善し始めた後、その後も改善傾向を続けています(図表6)が、これは、今回の1人あたり実質平均賃金についての試算値の動きと整合的であると言えます。
今後は実質賃金の伸びがはっきりとしたプラス圏へ
今後については、春闘での賃上げの効果が2024年5月頃から本格的に顕在化すると見込まれます。2024年の春闘では、ベースアップが3.63%(4月4日に公表された第3回回答集計結果に基づく)と、2023年の2.12%、2022年の0.63%をそれぞれ大きく上回る水準となりました。中小企業においてもある程度の賃上げが見込まれることをふまえると、足元の円安による輸入インフレの影響で家計の購買力がある程度の悪影響を被ったとしても、今回試算したベースでの日本の1人あたり実質平均賃金ははっきりとしたプラス圏へと改善する公算が大きいと予想されます。これに合わせて日本の民間消費が緩やかに拡大する可能性が高いと見込まれます。この動きが金融政策にもたらす影響が注目されますが、これまでの植田総裁らの発言をふまえると、日本銀行は以上の問題意識や判断をある程度共有している可能性が高いとみられます。このため、今年中には追加的な利上げが実施される可能性は低いという、これまでの見方を維持したいと思います。その一方、円安がインフレを押し上げる効果が意識される状況下、株式市場では民間消費の緩やかな拡大シナリオが確信をもって株価に織り込まれていないとみられることから、実際に民間消費の拡大が視野に入る段階で内需型企業の株価にプラス効果が及ぶ公算が大きいと見込まれます。
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MC2024-055