多くのトランプ・ディールが成立。次の注目点は?

要旨
ディールはおおむね成功。それでも米国のインフレは加速する見通し
トランプ政権が主要国との間で通商「ディール」を締結したことで、グローバル金融市場には安堵感が広がりました。それでも、米国のインフレ率が今後加速することは避けられそうになく、それは米国景気の減速につながると見込まれます。
金融市場の焦点は、米景気の減速とFRB政策に移行
今後のグローバル市場の焦点は、米国景気の減速とそれに対応するFRB(米連邦準備理事会)の金融政策に移行していくと考えられます。7月分米雇用統計が弱めだったことで、金融市場は景気減速への警戒感が強まっています。金利先物市場に織り込まれる年内の利下げ回数は、8月5日時点では2.3回まで上昇しました。私自身は、年内に2回の利下げが実施されるという従前からの見方を維持したいと思います。
米株市場は短期的にはレンジ圏に。ただしテックセクターには上昇余地
私は、今後秋口にかけて、景気悪化を示す指標が徐々に増えることによる株価へのマイナス効果と、FRBの利下げ期待の強まりによる株価へのプラス効果が拮抗することで、テック銘柄を除く米国株がレンジ圏で推移すると見込んでいます。他方、マグニフィセント7をはじめとするテクノロジー銘柄については、投資家の目線が短期的な景気の動きではなく、生成AI関連技術の市場拡大という中期的なビジネス機会に向けられているため、景気減速の織り込みが進むとみられる秋口までの間も、株価が引き続き上値を追う展開が予想されます。
ディールはおおむね成功。それでも米国のインフレは加速する見通し
トランプ政権が各国との関税交渉の期限である8月1日までに多くの主要国との間で通商「ディール」を締結したことで、米国が高率の追加関税を賦課することによる景気悪化懸念を強めていたグローバル市場では安堵感が広がりました。それでも、米国のインフレ率が今後加速することは避けられそうになく、それは景気の減速につながると見込まれます。分野別関税について一定の前提を置いて算出すると、米国が他国に課す追加関税のGDP比は、6月段階での0.8%から、8月中旬以降は2.1%に達する見通しです(図表1、もともと課されていたGDP比で0.3%の関税を合せると2.4%となります)。

6月までに課された追加関税の多くはまだ消費者物価には反映されていないとみられますが、ディールの成立によって追加関税関連のコストがほぼ確定したことから、企業は、その追加コストをこれまで以上に消費者に転嫁しはじめると考えられます。直近(6月)のデータをみると、消費者物価を最も広くカバーするインフレ指標であるPCEデフレーターの前年同月比は2.6%でしたが、今後、企業が追加関税コストの半分程度を消費者に転嫁する(私はこれをメインシナリオと考えています)ことで、前年同月比でみたPCEデフレーター上昇率は10-12月期に3%台半ばまで加速すると見込まれます。インフレ率が1%ポイント以上上昇することにより、消費者の実質での購買力が目減りすることから、米国景気には減速圧力がかかると見込まれます。
一方、米国の企業部門は輸入に伴う追加関税コストのうち、消費者に転嫁されない部分のコストを負担する必要が出てきます。これは企業業績に対する下押し要因となります。以上の2つの要素は、米国の消費の減速や企業業績へのマイナス効果を通じて、株価に対する下押し圧力につながるとみられます。
金融市場の焦点は、米景気の減速とFRB政策に移行
7月末までのグローバル市場で最大の焦点であった追加関税問題の落ち着きどころがみえてきたことで、今後のグローバル市場の焦点は、米国景気の減速とそれに対応するFRB(米連邦準備理事会)の金融政策に移行していくと考えられます。8月1日に公表された7月分米雇用統計は、米国の景気減速が現実のものになりつつあることを市場参加者に強く印象付けることになりました。7月分の非農業部門雇用者増加数が市場コンセンサス(ブルームバーグ調査によると10.5万人)を下回っただけではなく、5~6月分の増加数が大きく下方修正され、米国の労働市場における需要の減速が明確となりました。7月分のISM業況指数が、製造業で48.0ポイント、サービス業で50.1ポイントと、前月の水準と市場予想値の両方を共に下回ったことも、景気の減速が進行していることを示唆しています。また、民間消費の月次データをみると、2024年末まではしっかりとしたペースで拡大していたのが、年初よりサービス消費の勢いが低下しました(図表2)。財消費は3~4月には関税前の駆け込み需要とみられる一時的な自動車への需要増の恩恵を受けましたが、5月以降はその反動もあって需要が低迷し、民間消費全体の伸び悩みにつながりました。

ここで重要なポイントは、追加関税によるインフレ圧力の消費者物価への波及が6月段階ではまだ非常に限定的であった点です。その意味では、インフレ率の上昇によって米国景気が減速する局面はまだ始まったばかりであり、今後、米国景気は秋にかけて減速の度合いを強めていくと見込まれます。
FRBの政策については、7月分の雇用統計において雇用者数の伸びが市場予想を下回ったことで、金融市場における利下げ期待が大きく高まりました。金利先物市場に織り込まれる年内の利下げ回数は、雇用統計発表前の7月31日には1.3回に過ぎませんでしたが、8月5日時点では2.3回まで上昇しました。私自身は、年内に2回の利下げが実施されるという従前からの見方を維持したいと思います。米国債市場では、米国が多くの主要国とディールを締結したことで、長期金利に下押し圧力がかかりはじめていましたが、10年国債金利は7月分雇用統計とその後の利下げ期待の高まりを受けてさらに落ち着き、8月5日現在では4.21%に低下しました。
他方、今後、金融市場が期待するほどの頻度でFRBが利下げを実施しないリスクがあることには注意が必要です。パウエルFRB議長は、雇用統計中で最も注目している指標は失業率であるという立場を表明してきました。これは、労働市場における需要が減速しているものの、トランプ政権の移民制限政策によって労働供給も減速しているため、失業率は7月で4.2%と比較的低水準のままであり、結果的に、FRBの掲げる目標である「最大雇用」に近い状態が維持されているという見方です。この見方に立てば、早期に利下げを実施する必要性は低いという考え方につながり、FRBが利下げに対して距離を取り続けるリスクが出てきます。
米株市場は短期的にはレンジ圏に。ただしテックセクターには上昇余地
米国株式市場では、トランプ政権による主要国とのディールの締結によって追加関税についての不透明感がかなり低下したことで、株価がいったん上昇したものの、8月1日に発表された雇用統計が景気減速に対する懸念を強めたことが株価の下落をもたらしました。米大型株500種指数のうち、マグニフィセント7を除く指数は、7月初めからレンジ相場に入ったと言えます(図表3)。私は、今後米国企業の7-9月期決算が発表される10月くらいまでは、景気悪化を示す指標が徐々に増えることによる株価へのマイナス効果と、FRBの利下げ期待の強まりによる株価へのプラス効果が拮抗することで、テック銘柄を除く米国株がレンジ圏で推移すると見込んでいます。この展開は景気敏感セクターには向かい風になりますが、不動産や公益事業といった金利敏感セクターには追い風になるとみられます。他方、マグニフィセント7をはじめとするテクノロジー銘柄については、投資家の目線が短期的な景気の動きではなく、生成AI関連技術の市場拡大という中期的なビジネス機会に向けられているため、景気減速への織り込みが進むとみられる10月までの間も、株価が引き続き上値を追う展開が予想されます。

その後、年末に近づくと、インフレ加速による米国景気へのマイナス効果がピークを過ぎるとともに、FRBによる利下げや減税法案の成立、米国とのディールを締結した国々による米国への直接投資増などを通じたプラス効果が顕在化するとみられることから、米国景気の底打ちへの期待感が強まってくるとみられます。これが米国株市場における好材料となり、米国の主要株価指数は再び上昇局面に入ると見込まれます。
以上でふれたメインシナリオに対するリスクとしては、米国政府がロシア産の原油を輸入している国々(中国やインドが該当するとみられます)に対して高率の二次関税を課すリスクと、追加関税が米国の消費者に転嫁されるタイミングが想定よりも遅れるリスクを挙げたいと思います。前者については、中国に100%の追加関税が課されることになれば、追加関税による米国のインフレ押上げ効果が想定以上に大きくなり、米国の景気に悪影響が及ぶ可能性が出てきます。また、後者については、インフレ率の加速が後ずれすることで、景気減速やその後の景気回復のタイミングが後ずれし、株価の上昇局面入りが遅れる可能性が高まります。
MC2025-083