新興国市場の現在地
要旨
原油高によるインフレの加速が消費の下押し圧力に
新興国・地域でも、先進国と同様に、イラン戦争がエネルギー価格の上昇を通じてインフレ率の加速につながり、それが民間消費への下押し圧力になる傾向が強まってきました。悪影響が特に大きいのがエネルギー輸入を中東地域に大きく依存する国々(インド、フィリピン、タイ)でした。一方、ブラジルやメキシコ、マレーシアなどのエネルギー産出国では悪影響は比較的小さめです。新興国・地域の金融政策は、原油高やドル高が進行する中、各地域のインフレ状況や国際収支の脆弱性などによって、地域差が大きくなる展開となっています。
一方で、AI需要でエレクトロニクス輸出が急加速
韓国や台湾、シンガポールなど一部のアジア諸国・地域では、グローバルなAI需要(データセンターなど)の高まりによって輸出が大きく伸び、これが景気を強力に支える状況となってきました。直近では、AI需要の恩恵を受ける国・地域とそれほど恩恵を受けない国・地域間の差が広がっています。
イラン戦争の終了で新興国の出遅れ市場におけるリバウンドを予想
新興国・地域の株式市場では、原油高による悪影響の度合いやAI需要の強さによってイラン戦争開始後の主要株価の騰落率に差がついています。イラン戦争開始後の騰落率がマイナス圏となっている国・地域も少なくありませんが、これらの国・地域では、イラン戦争が不透明感の小さな形で終了すれば、景気回復と金融緩和への期待が高まることで、株価がリバウンドすると見込まれます。
原油高によるインフレの加速が消費の下押し圧力に
イラン戦争によるグローバル景気への悪影響は、原油高によるインフレが各国の内需を抑制するという形で顕在化しています。これは、新興国・地域においても同様であり、イラン戦争がエネルギー価格の上昇を通じてインフレ率の加速につながり、それが民間消費への下押し圧力になる傾向が強まってきました(中国の景気については、当レポート5月21日号「中国:直近統計は景気の再減速を示唆」で議論した状況からあまり変化はありませんので、当レポートでは中国の動向にはふれません)。主要新興国・地域の中では、イラン戦争後、インド、フィリピン、タイにおいてインフレ率が比較的大幅に加速しました(図表1)が、その背景には、これらの国々の中東からのエネルギー輸入への依存度が大きいことがありました。逆にブラジルやメキシコ、マレーシアにおいてインフレ率の加速が限定的であったのは、これらの国々がエネルギーの産出国であり、国内の燃料価格を安定させるために燃料への減税を実施したり、ガソリンへの補助金の増額を実施することができたためです。
こうした環境下で、新興国・地域の中央銀行がイラン戦争後に実施した金利政策は、ブラジルとメキシコでは利下げ、インドネシア、フィリピン、韓国、南アフリカでは利上げ、その他の主要国・地域が様子見と、国によってかなり異なる姿となりました(図表2)。グローバルな原油高の状況下で利下げを実施したブラジルとメキシコは産油国であるが故、国内での燃料価格を政策的に抑制することが可能であったことが大きいと思われます。インフレについて懸念する必要性が薄かったことで、景気減速感の強まりに対して、利下げによる対応が最適の政策でした。ブラジルの場合は、年初において政策金利が15%と非常に引き締め的な水準にあり、イラン戦争の開始時には金融政策を緩和的な方向に変更する途上にあったことも利下げを実施した背景です。
一方、利上げを実施した国々には、以下のそれぞれの事情がありました。
インドネシア:原油高によって世界的なドル高トレンドが強まる中で、国際収支に脆弱性があるインドネシアでは、国有企業資産を一元管理する政府系投資機関として2月末に創設されたダナンタラの統治構造や民間への悪影響が強く懸念されたことによって、強いルピア安圧力が生じたことから、政策金利を積極的に引き上げることでルピア相場の安定を図る必要がありました。
フィリピン・南アフリカ:先にふれたように、フィリピンでは、原油高によってインフレ率が大きく加速し、フィリピン中央銀行が掲げる2~4%というインフレ目標レンジの上限を超えてしまいました。インフレ期待の高まりがさらなるインフレにつながるリスクが強まる環境下で、フィリピン中央銀行はインフレ抑制を目指して複数回の利上げを余儀なくされました。南アフリカ準備銀行も、同様の理由で利上げに踏み切りました。
韓国:6月の消費者物価上昇率が韓国銀行の物価目標である2%を大きく上回る3.2%に上昇する中、①インフレが相当期間にわたって2%を上回る見通しになったほか、②ウォン安の進行を抑える必要性が出てきたことや、➂各種半導体に対する強い需要が景気の強さにつながっていたことが、中央銀行である韓国銀行の利上げにつながりました。②については、韓国銀行が為替政策も担当していることによります。
なお、先にふれたように、インドおよびタイではイラン戦争開始後にインフレ率が加速したものの、中央銀行が掲げるインフレ目標はインドでは2~6%、タイでは1~3%のレンジであり、実際のインフレ率はともにインフレ目標レンジ内にあったため、利上げが実施されなかったと考えられます。
一方で、AI需要でエレクトロニクス輸出が急加速
主要新興国・地域では、イラン戦争後のインフレ加速によって民間消費などの内需に下押し圧力が生じましたが、一部の新興国・地域では、ハイパースケーラーによるAIデータセンターへの投資が急増したことが輸出の急加速をもたらし、イラン戦争による悪影響を払しょくする状況となりました。特に、アジア主要国からのエレクトロニクス輸出は、AI半導体やメモリー半導体、電子部品などの輸出が好調になったことで大きく伸びました。エレクトロニクス輸出は、韓国や台湾、ASEAN主要5か国(除くシンガポール)を合わせたベースでは、4-6月期には前年同期比で70%を超える伸び率を記録しました(図表3)。これまで長年にわたって、エレクトロニクス分野においては、中国からの輸出と、中国を除くアジアからの輸出とが同じようなペースで増加してきましたが、2024年ごろからは、中国を除くアジアからのエレクトロニクス輸出の勢いがより力強くなってきました。この背景には、韓国や台湾の半導体製造についての競争力が強まってきたことだけではなく、米中貿易摩擦などの地政学的なリスクがより強く意識される中で多国籍企業が中国以外の拠点での生産により重点をおくようになったことがあると考えられます。
AI需要の急増の恩恵を受けた国・地域の4-6月期の実質GDP成長率(前年同期比ベース)は、すでに公表された国・地域でみると、台湾が12.9%、マレーシアが5.8%、シンガポールが5.7%、韓国が3.7%と、いずれもそれぞれの国・地域の潜在成長率を超える高い水準となりました。他方で、AI需要の恩恵を受けにくいフィリピンでは、インフレ率の加速もあって4-6月期の実質GDP成長率は前年同期比で2.3%にとどまりました。インドやタイの4-6月期の景気も減速していたとみられます。ブラジルやメキシコなど、アジア域外の主要新興国についても、AI需要の恩恵を受けにくいことから、景気は弱めであったと判断されます。
イラン戦争の終了で新興国の出遅れ市場におけるリバウンドを予想
新興国・地域の主要株価指数のイラン戦争直前から直近までの騰落率をみると、グローバル株式市場での半導体関連株への関心の高まりを受けて、台湾の上昇率が27.4%と突出して高水準でした(図表4)。台湾の次に上昇率が大きかったのがシンガポールでしたが、この背景には、6月以降、景気が力強い状況で、金融や不動産など、それまで出遅れていたセクターの株価が上昇したことがありました。一方、ブラジルやメキシコなどのアジア域外の新興国や、インドネシア、インド、フィリピンでは、主要株価指数が未だにイラン戦争前の水準に回復していません。インドネシアは、先にふれた政府機関のダナンタラをめぐる問題が投資家の不信感をもたらしていることから、この問題の解決が今後の株価のカギになるとみられますが、その他の市場については、イラン戦争の行方が引き続き重要です。従前から当レポートで言及してきた通り、イラン戦争が不透明感の小さな形で終了すれば、原油価格の下落がインフレ率の低下をもたらし、これらの出遅れた市場での景気回復と金融緩和への期待が高まり、株価がリバウンドすると見込まれます。
MC2026-092