イラン情勢-早期終結シナリオと長期化シナリオ
要旨
イラン情勢を巡る2つのシナリオ―市場は「長期化シナリオ」を意識
2月28日に開始された米国・イスラエルによるイラン攻撃とイランによる報復がグローバル金融市場を揺るがしています。今週月曜日(3月2日)のアジアでの取引時間帯までの段階では、金融市場は双方による軍事行動の「早期終結シナリオ」を織り込んでいたと思われます(図表1)が、それ以降は、「長期化シナリオ」の実現可能性が意識され始めたと考えられます。ただ、現段階では「長期化シナリオ」が完全に織り込まれているとは言えません。その意味では、今後のイラン情勢次第では、「長期化シナリオ」がさらに織り込まれて、グローバル市場のボラティリティーがさらに上昇するリスクがあると言えるでしょう。
日本経済・市場へのインパクト
原油価格が現状の1バレル=80ドル程度で維持される場合の日本経済へのインパクトは限定的と見込まれますが、原油価格が1バレル=100ドルまで上昇し、その水準が続くと仮定すると、日本の成長率は0.3%ポイント押し下げられる一方、インフレは0.6%ポイントも押し上げられます。この場合には、日本経済の見通しが、大きく下方修正される可能性があると言えるでしょう。
当面の注目点—次期イラン最高指導者の対米政策がカギに
金融市場をみる上での当面の注目点は、米国・イスラエル軍に殺害されたハメネイ氏の後継に選出される最高指導者が、米国に対して融和的な政策を実行するかどうかです。
イラン情勢を巡る2つのシナリオ―市場は「長期化シナリオ」を意識
2月28日に開始された米国・イスラエルによるイラン攻撃とイランによる報復がグローバル金融市場を揺るがしています。イランを巡る情勢は極めて流動的であり、金融市場へのインパクトについて予断をもって見通すことは困難です。そこで、以下では、日本を含むグローバルな金融市場の動きについて、イラン情勢についてのシナリオ別に考えてみたいと思います。金融市場へのインパクトを決定づけるのは、今後、双方の軍事行動が早期に終結するか、あるいは、ホルムズ海峡の封鎖を伴って長期化してしまうかという点だと思われます。
今週月曜日(3月2日)のアジアでの取引時間帯までの段階では、金融市場は「早期終結シナリオ」を織り込んでいたと思われます(図表1)。原油価格は、ホルムズ海峡の封鎖による供給への打撃が意識される形で1バレル=80ドル超(ブレント原油価格ベース、以下同様とします)まで上昇しました。この水準はグローバル経済に深刻な影響を及ぼす水準とは言えません。しかし、グローバル株式市場では、ホルムズ海峡の封鎖によって原油・天然ガスの輸入が滞って世界経済が減速するリスクが意識される中で、ある程度の株価下落を免れることはできませんでした。株式などのリスク資産に対する選好が低下する中で、債券に対する投資家の選好が増し、長期金利はやや低下しました。為替市場では、「有事のドル」という認識が強い状況下で、ホルムズ海峡経由のエネルギー輸入に頼らない米国のドルが、ホルムズ海峡を通過するエネルギー輸入への依存度が比較的高い日本・欧州の通貨に対してやや上昇することになりました。一方、地政学的な不透明感が台頭したことで、金や銀、プラチナといった貴金属の価格に上昇圧力がかかりました。
こうした金融市場による「早期終結シナリオ」の織り込みに転機が訪れたのは、米国時間の3月2日になってトランプ大統領が、軍事作戦について「4〜5週間と予測していたが、それよりはるかに長期間実施する能力がある」と表明したことでした。トランプ大統領は、今回の対イラン軍事作戦の目的として、 ①イランのミサイル能力の破壊、②イラン海軍の全滅、③核兵器の保有阻止、④親イラン組織への支援停止、の4つを挙げたこともあり、金融市場では、この軍事作戦が数日といった短期間では終了せず、ホルムズ海峡の長期封鎖を伴う「長期化シナリオ」が現実のものとなる可能性を視野に入れ始めたと思われます。
「長期化シナリオ」が完全に金融市場に織り込まれる場合、ホルムズ海峡の長期間にわたる封鎖の影響から原油市場はひっ迫した状況となり、原油価格は現行水準よりも大幅に上昇すると考えられます。原油価格の大幅な上昇とエネルギー不足はグローバル景気悪化とインフレ加速を同時にもたらすことから、グローバル株式は大幅に下落する公算となります。こうした状況下、「早期終結シナリオ」下では安全資産として評価される米国国債は、インフレ期待や財政赤字の拡大が懸念される形で価格が下落する(長期金利が上昇する)可能性が高まります。株式や債券への選好が共に低下する状況下で、金など貴金属は資金逃避先の資産・そしてインフレ時のヘッジ資産としての役割が注目され、価格が大幅に上昇する可能性が高いと考えられます。一方、この場合の為替市場の反応は予測が困難です。というのは、世界的なエネルギーの供給不足下、中東からの輸入にほぼ頼らずとも自給できている米国の立ち位置が、中東からのエネルギー輸入に依存する欧州・日本の立ち位置よりも良好である点はドル高要因であるものの、戦闘の長期化によって連邦政府の財政赤字が大幅に増加するとみられる点はドル安要因となるためです。ただし、日本をはじめとして、インドや中国、韓国、台湾、シンガポールなどのように中東からのエネルギーへの依存度の高い地域の通貨は対ドルで下落する可能性が高いと考えらえます。
3月2日(米国取引時間)以降のグローバル市場において、株価の比較的大幅な下落、債券利回りの緩やかな上昇、ドル高、が進行しているのは、この「長期化シナリオ」の実現可能性が上昇したことによるものと考えられます。ただ、原油価格が1バレル=80ドル超にとどまっていることや金などの貴金属価格が再び下落したことをふまえると、現段階では「長期化シナリオ」が完全に織り込まれているとは言えません。その意味では、今後のイラン情勢次第では、「長期化シナリオ」がさらに織り込まれて、グローバル市場のボラティリティーがさらに上昇するリスクがあると言えるでしょう。
以上のシナリオは、軍事行動の期間について、早期終結か長期化かを軸として検討したものですが、世界経済にとって本当の最悪シナリオは、湾岸諸国とイランとの間で原油や天然ガスの採掘設備や精製設備を相互にミサイルで破壊するシナリオと考えられます。例えば、イランによる攻撃の結果、UAE(アラブ首長国連邦)の石油精製設備が破壊されれば、UAEはイランの石油精製設備に対して同様の攻撃をする可能性が高まります。このような形でイラン周辺地域からの原油や天然ガスの生産が長期間ストップしてしまう場合には、ホルムズ海峡の封鎖が解かれたとしても、グローバル経済は深刻なエネルギー不足に直面し、スタグフレーション状態(インフレと景気後退が共に生じる状態)に陥ってしまいます。もっとも、近隣国の石油精製設備を破壊すれば、自らも同様の報復に直面すると理解しているイランは、そもそもそうした行動を控えると考えられます。このため、この最悪シナリオが実現する可能性は極めて低いと考えてよいでしょう。
日本経済・市場へのインパクト
3月5日早朝までの日本の金融市場では、「長期化シナリオ」が一定程度織り込まれる展開となっています。そこで、原油価格上昇の日本経済へのインパクトについて、内閣府の経済モデルをベースとして概算してみました(図表2)。原油価格は足元で1バレル=80ドル程度にまで上昇していますが、この水準は昨年の平均的な水準よりも20%高い水準です。この原油価格を前提とする場合のモデル上のインパクトを機械的に計算すると、実質GDP成長率は0.1%ポイント押し下げられ、インフレ率は0.2%押し上げられます。このインパクトは決して小さいとは言えませんが、大きいとも言えない水準です。他方で、原油価格が1バレル=100ドルまで上昇し、その水準が続くと仮定すると、成長率は0.3%ポイント押し下げられる一方、インフレは0.6%ポイントも押し上げられます。この場合には、2026年中に実質賃金の伸びがプラスに転換して内需がしっかり拡大するとみられていた日本経済の見通しが、大きく下方修正される可能性があると言えるでしょう。
「長期化シナリオ」の下で、原油や天然ガスの供給が滞って価格が上昇する場合、原油輸入の大部分を中東に頼る日本は、インフレやエネルギー不足によって景気の悪化を余儀なくされ、金融市場では「トリプル安(株安、債券安、円安)」の状況に陥る可能性が高いと考えられます(図表3)。コストプッシュ型のインフレの下で、企業業績に打撃が及んで株価が大幅に下落するとみられます。インフレ加速が視野に入る場合、高市政権は消費減税などによってより積極的な財政政策を実施する可能性が高まりますが、これは財政状況悪化への懸念につながり、長期金利の上昇と円安の動きが強まるとみられます。この際、米国における長期金利の上昇も日本の長期金利押上げに寄与するとみられます。
当面の注目点—次期イラン最高指導者の対米政策がカギに
金融市場をみる上での当面の注目点は、米国・イスラエル軍に殺害されたハメネイ氏の後継に選出される最高指導者が、米国に対して融和的な政策を実行するかどうかです。日本時間で3月5日午前9時時点の各種報道では、殺害されたイラン最高指導者ハメネイ氏の息子であるモジタバ氏が後継者に指名される可能性があると報じられています。モジタバ氏は対米強硬派とみられていることから、この場合には軍事行動の長期化が視野に入り、グローバル金融市場における動揺が拡大する可能性が高まります。
一方、今後選出される最高指導者が対米融和的な政策を採用し、トランプ大統領が掲げる先述の目標が達成される状況になれば、グローバル金融市場における不透明感は大きく和らぎ、グローバル株式・債券・為替市場における資産価格は米国のイラン攻撃前の水準に向けて動くと見込まれます。
MC2026-028