イラン戦争:グローバル市場・金融政策の現在地
要旨
動揺する市場。想定外におきたドル高の背景
足下の金融市場では、イラン戦争の「早期終結シナリオ」と「長期化シナリオ」の中間的なシナリオが織り込まれていると考えられます。イラン戦争勃発以降、グローバル市場において株安、長期金利高、ドル高、原油高が進行する一方、金価格は横ばい圏となっています。
米国市場の相対的な強じんさが際立つ
イラン戦争開始後の主要市場の動向をみると、米国株およびドルの相対的な強じんさが浮き彫りになるとともに、一部のアジア諸国・地域(タイ、フィリピン、台湾、韓国、日本など)の株価・通貨の下落幅の大きさが目立ちました。これらの点は、原油高やエネルギー不足問題に対する各国・地域の脆弱度の差を反映していると思われます。
金融政策へのインパクトは戦争の継続期間や景気、期待インフレの動き次第
戦争が早期に終結する場合には、イラン戦争による日米ユーロ圏の金融政策へのインパクトはほとんどないと見込まれます。一方、大幅な原油高が長期化する場合には、景気悪化が視野に入るという点は利下げ促進要因であるものの、中長期のインフレ期待が高まるとみられる点は利上げ促進要因となるため、中銀はこの2つを考慮しながら政策を遂行することになるでしょう。
動揺する市場。想定外におきたドル高の背景
トランプ政権が2月28日にイラン攻撃を開始して以来、グローバル金融市場は、軍事行動の「早期終結シナリオ」と「長期化シナリオ」のどちらに向かって事態が進行するかを巡って激しく揺れ動いてきました。当レポートの執筆時点(日本時間で3月11日午後)においては、3月9日においてトランプ大統領が、軍事作戦が「間もなく終了する」との見通しを述べたこともあって「早期終結シナリオ」に対する市場の期待感が強い状況にあります。しかし、ホルムズ海峡が事実上封鎖されていることもあり、予断を許さない状況が継続しています。
現時点での金融市場では、当レポートの先週号「イラン情勢-早期終結シナリオと長期化シナリオ」(3月5日発行)で示した、「早期終結シナリオ」と「長期化シナリオ」の中間的なシナリオが織り込まれていると考えられます。イラン情勢が不透明感を増す直前の2月26日と、直近の3月10日を比較すると、グローバル市場において株安、長期金利高、ドル高、原油高が進行する一方、金価格は横ばい圏となりました(図表1をご参照ください)。これは、当レポート先週号でご紹介したシナリオにおおむね沿ったものでしたが、想定外であったのは、「長期化シナリオ」が意識される局面で、他のほとんどの通貨に対してドル高が進行した点でした。またこの際に金価格がほぼ横ばい圏で推移したことも想定外でした。
これらの点について、先週号のイラン情勢シナリオ別の資産価格シナリオを修正したいと思います(図表2)。イスラエルがイランの石油施設を攻撃したというニュースが伝わった後の3月9日の金融市場ではブレント原油価格が1バレル=110ドルを超える水準へと上昇しました。この状況下で、ドルは各国通貨に対して上昇を続けました。グローバル為替市場でドル高が進行したのは、米国がエネルギーを中東に依存しておらず、エネルギー不足や価格上昇の影響を受けにくいことが強く意識されたためと考えられます。もっとも、今後、地上軍の投入によって米国財政の大幅な悪化が視野に入るような場合にはドル安圧力が生じる可能性は否定できません。一方、金などの貴金属価格については、原油高に伴うインフレ加速で利下げが実施しにくくなる点は価格下落要因として作用したものの、地政学的なリスクが高まる下、株式・債券からの逃避資産として、そして、インフレヘッジ資産として注目度が高まる点は価格上昇要因として作用したと考えられます。この2つの要因が相殺される形で貴金属価格が横ばい圏で推移したと考えられます。
米国市場の相対的な強じんさが際立つ
この期間(2月26日から3月10日にかけての期間)における各国・地域の主要株価指数と為替レートの対ドルレートの動きからは、米国株およびドルの相対的な強じんさが浮き彫りになるとともに、一部のアジア諸国・地域(タイ、フィリピン、台湾、韓国、日本など)の株価・通貨の下落幅が大きかったことがわかります(図表3)。これらの点は、原油高やエネルギー不足問題に対する各国・地域の脆弱度の差を反映していると思われます。図表4では、横軸に米国エネルギー情報局(Energy Information Agency)の統計に基づくエネルギー輸入依存度(ネットベース)の計数を示しました。ここでのエネルギーのデータは、原油や天然ガス、石炭、原子力、水力・太陽光などの再生可能エネルギーなどを含む包括的なものです。エネルギーの輸入依存度(ネットベース)がマイナスあるいはゼロになる主要国には、米国、カナダ、ブラジル、南アフリカ、インドネシア、マレーシアが含まれます。縦軸では、エネルギー輸入額のGDPに占める比率を示しました。この計数を含めたのは、経済規模対比でエネルギーを多く輸入する国・地域ほど、価格上昇による悪影響が出やすいことをふまえたものです。図表3にみる通り、これまでのところ米国の株価下落率はほとんどの他の国・地域と比べて小幅にとどまっていますが、これは、エネルギー分野における強じん性を反映していると考えらえます。一方、この面では、タイ、韓国、台湾は他の多くの国と比べて脆弱であり、それが市場の動きにも反映されていると言えるでしょう。
金融政策へのインパクトは戦争の継続期間や景気、期待インフレの動き次第
最後に、イラン戦争が、日米ユーロ圏の金融政策に及ぼすインパクトについて考察したいと思います。そのインパクトは、イラン戦争による原油高やエネルギー供給不足がどの程度継続するかに大きく依存すると考えられます。これらの問題が短期間に終息するのであれば、インフレ率の押上げ効果や経済成長率の押下げ効果は共に限定的であり、金融政策への影響はほとんどないと考えてよいでしょう。
一方、ホルムズ海峡の封鎖が長期化するなどの理由によって大幅な原油高が長期化する場合はどうでしょうか。原油高が長期化する場合でも、日米ユーロ圏共にコアインフレ率(食品やエネルギーを除くインフレ率)へのインパクトは限定的です。これらの主要中銀当局は、金融政策の遂行上、コアインフレ率を重視していますので、これが抑制される限りは政策金利を引き上げる必要性は小さいと見込まれます。その一方で、景気の動きと、家計や企業が考える中長期の期待インフレ率も中銀の行動を決定づける重要な要素です。エネルギー価格の上昇によってヘッドラインインフレ率が大きく上昇する場合、消費者の実質購買力の低下を通じて景気に対して下押し圧力が働きます。景気のダウンサイドリスクが明確になるようだと、中央銀行は利下げによって対応する必要が出てきます。もっとも、中長期の期待インフレ率が上昇してくる場合は話が変わってきます。この場合、インフレ期待の上昇そのものが新たなインフレ圧力(コアインフレ率を押し上げる圧力)を生む可能性があることから、これを抑制するため、場合によっては利上げを検討する必要が出てくるでしょう。「長期化シナリオ」の下では、中央銀行はこの2つを考慮しながら政策を遂行することになります。景気が悪化する下で中長期の期待インフレ率が高まる場合には、中銀はジレンマに直面し、難しいかじ取りを迫られることになります。
以上の考え方は日米ユーロ圏のどの中銀にも当てはまりますが、先述のように、米国経済はエネルギーの輸入依存度が低いことから、イラン情勢の深刻化による景気への悪影響はかなり限定されます。その意味で、「長期化シナリオ」の下では、日本やユーロ圏と比較すると、FRB(米連邦準備理事会)は利下げに取り組みやすいと考えられます。
MC2026-031